あんぽん―孫正義伝― 佐野眞一著 小学館 [読書]
しかし、その父親も偉かった。個性そのものだが、九州一のパチンコ王となり、財を築いたのだから。そのバックが無ければ孫正義もアメリカへ行けたかどうか。著者はその前に孫氏の母親系の故郷にも行っているが、そこでは何の噂も事実も無い。これは男尊女卑系の伝統からすればもっともなことで、しかも、著者は肝心の孫氏の母親の国本玉子さんには面会できなかったようだ。おそらく拒絶されたのだろう。私は彼の著作「旅する巨人宮本常一 にっぽんの記憶」を読み、その感想文も書いた人だ。
孫氏は佐賀県鳥栖駅前の朝鮮部落に生まれ、石を投げられ、差別された在日の少年だが、その人がここまでなったのには大きな試練があったと思う。何故アメリカ人にならなかったのか。もっと自由に発言でき、日本人にも尊敬されただろうに。アメリカでは既に孫のような商売はいくらでもあり、日本が遅れていてそれが資金のある孫氏の目にとまったのであろうか。
ペーパーになった本を読んでいる私の感想を一言。孫氏はペーパーがなくなり、間違いなくデジタル本にとってかわられるとあるが、私はそれは絶対に無いと思う。
猫鳴り 沼田まほかる 双葉文庫 [読書]

恥ずかしい話だが、この本の解説(豊崎由美)を読むまでこの短編3篇が1つの小説をなしているとは思わなんだ。確かに第1部は猫がこの家に居ついた経緯が書かれ、第2部は第1部でその猫を捨てに行ってきなさいと母親からいわれたあやめが猫が心配でみにきているうちに、半ばぐれた男の子と知り会ったいきさつが述べられている。言われてみれば、登場人物の名前が3部とも一致している。しかも解説者は私が読んだ「ニッポンの書評」の著者だ。
私は最後の第3部のみがペットを可愛がる人の心情が描かれていると思い、1部、2部は一体なんなのか、この第3部こそ私の期待した内容だと思ったのだが。
しかし、藤治はここまで猫を可愛がるかと思う。私ならむしろ若い医者が言った「僕はためらわず、モンちゃんの好きにさせてあげることをお勧めします」の言に従う。ただ自分が死ぬ場面に直面していないだけにそう思うだけで、実際のところは分からない。ただ死ぬ間際の苦しさだけは我慢ならず、どうせ助からない命なら、安らかに死にたいと願うだけだが。
蒲田行進曲 深作欣二監督 松坂慶子、風間杜夫、平田満他出演 [ビデオ]
出演者全員が映画大好きで、そのためにどんなことでもやるし、どんな我慢でもする。昔の良き時代、映画全盛の頃のお話だ。最後のご苦労様でしたの場面で、見ている人も含めて皆一様にほっとする。そしてやはり音楽が歌詞といい、曲といい素晴らしい。この最後の場面だけはいつでも見たい気がする。
ニーチェの馬 タル・べーラ監督 [映画]

人類の末路はこれほど暗く、きびしいものなのか。私は緑豊かな、風がやわらかく、あたりを吹いている中で死にたい。父親と娘は毎日、重労働に励んでいる。荒涼とした大地で、ただ風が吹きすさぶ。6日目に娘が父親に、何故このようになったのか尋ねる。要するに太陽が照らないのだ。
老いさらばえたニーチェの馬も死を暗示している。それは人間が自然を壊してきた報いなのか。それとも一番最初の訪問者が言うように、神は人間を見捨てたもうたのか。
まさに哲学者の言う死の暗示だ。再びもとの巣へ帰ってきた親子のようにわれわれにはどうすることも出来ない。
しかし、これは一応自給自足の人達の物語であって、今の文明社会に暮らしている私達はもっともっと弱い立場にある。大騒ぎするだけで何の解決策も見出さない。
別離 製作・監督・脚本アスガー・ファルハディー。 レイラ・ハタミ、ベイマン・モアディー出演 [映画]
第69回ゴールデン・グローブ賞、アカデミー賞外国語映画賞受賞
H24.4.20鑑賞 於 梅田ガーデンシネマ
前回解説した「彼女が消えた浜辺」と同じ監督だ。同じような争いの場面が繰り返される。家族同士が最初から真実を語らず、自分に都合の良いように言い続ける。最後には真実が分かるのだから、最初から真実を言えばよいのにと思う。
夫婦が離婚を決意し、妻はアメリカへ旅立ち、夫には娘と初期アルツハイマーの父親が残される。妻は娘のために娘を連れて行きたがるが、娘の態度ははっきりしない。その間夫は父親の介護にと家政婦を雇ったが、家政婦は夫の父親を椅子に縛りつけ、医者に行く。家政婦の夫は仕事にあぶれ、むしゃくしゃしている。それで難癖をつける。そして四人の争いが連綿と続くが、最後は真実がばれ家政婦の夫は引く。夫と妻の離婚問題は解決しないまま。
無名仮名人名簿 向田邦子著 文春文庫 [読書]

戦後間もない貧しい時代の感覚が甦ってきて、懐かしい感じがした。彼女がなくなったのは昭和56年遠東航空機墜落事故であった。その頃、「7人の孫」「寺内貫太郎一家」や「阿修羅のごとく」のようなテレビのヒット作があったのだ。森繁久弥等が出演し、一言でいえば昭和の香りのする本といえようか。
52篇の長くて4~5ページ程の短編小説集で、「拾う人」や「人形使い」、「洟をかむ」、「おばさん」等気楽に読めて、思わず笑っちゃうようなものもあり、説得性がある。日常生活の中での出来事を見て、それから自分のかねての経験なり、疑問を思い出し、一応の結論に導く。なかなかに面白く、胸にグサッと応える。これくらいの文章をさらさらと書けなければ、小説家とは言えないだろうな。
体制維新―大阪都 橋下徹、堺屋太一著 文春新書 [読書]

この本を読んで政治に対する希望が生じた。日本全体が著者のこのような考えになれば日本の衰亡も避けられるかも知れない。選挙結果を期待するしかないのが残念だが。国会議員も自分の当選ばかり考えずに、この本を読んで少しは見習ったらどうだ。
後はこの橋本さんの賞味期限がいつまで続くかだ。本人も自覚しているようだが、後どのくらいもつかだ(p.127)。私はこの本ですっかり橋本さんのファンになり、出来るだけ長生きし、日本のためつくしてほしい。これだけ活躍し、官僚と議論していたらいい加減うんざりするはずだ。土光敏夫さんは行政改革委員長で、将来の日本のためいろいろ提言したが、結局官僚社会の抵抗にあって、その死後ほとんどの提言が無視された。橋下さんは若いのだから、将来の日本のため頑張って欲しい。心の底からエールを送りたい。
橋下さんは主張は今のシステムは時代のニーズに合わない(p.50)し、それを変えることは今の身分化した公務員では無理であり、それこそ政治家の役割であり、まず大阪で新しい行政機構を作ろうとする。その過程でシステムを変える難しさを痛感したとする。むしろ今は国家間競争よりも都市間競争が主体である。国を挙げての経済成長なんてしているのは日本だけだ。
国の最大かつ喫緊の課題は財政再建だ。大阪府は徹底した無駄なサービスを削ることで、年間1100億円の収支改善ができた。私立高校の授業料の無償化。ワッハ大阪、大阪センチュリー交響楽団、国際児童文学館等の文化施設の廃止。現行の体制の変更は既得権益をはがしていくことで、すさまじい抵抗があった。
そして権力の再配置の議論となれば自分達の既得権益に関わる話になる。ベイエリアは一等地であり、大阪市の税金投入額は1兆円近くになる。
国の直轄事業の負担金問題。国が政策決定した直轄事業に何ゆえ地方が無条件にお金を出さねばならないのか。公共事業のみか、他の事業にしても国が地方に押し付ける負担金は不合理であり、廃止すべき。
関西国際空港を韓国の仁川空港に負けないアジアのハブ空港として活性化させる。伊丹との統合案が出された。
学校は今、政治的中立性を守るという名目で治外法権化している。普通の組織として構成し、大人が社会がみな努力する環境を作るのが大阪維新の会の教育基本条例の目的だ。
選挙で世の中が良くなる。政治を動かすのが有権者であり、政治と有権者の緊張関係が世をよりよくする方向に導く。現在の地方議会は行政のミスを激しく批判したり、行政に要望したり、予めの出来レースで質問と答弁を繰り返す議会がほとんど。
大阪市役所の露骨な動き、大阪地下鉄の民営化反対運動。市の税金を数億円も投じてこのままでいいんですという大キャンペーンを実施。水道局の統合問題、淀川左岸工事にしても未だに解決していない。
第6章の堺屋太一との対談も含めて「大阪都構想」が中心の議題。
大阪市と大阪府庁の軋轢、これは止むを得ないこと(府庁は大阪全体から考え、市役所は大阪市民を中心に考える)とするが、今や大阪府民は880万人、大阪市民は260万人になり、大阪府民の大半は大阪市内に通勤している。府庁と大阪市の政治目的を分けるべきだ。府庁は大阪府全体のことを考え、空港、幹線道路、鉄道、港湾等の広域インフラ、教育、病院、商業施設、文化施設等の機能(p.224~p.225)の広域行政に特化する。大阪市 は規模が大きくなりすぎており、東京都のように特別区に分割し、その区長を選挙によって選ぶ。区長には予算の執行権を与え、より身近な区民祭り、商店街イベント、街の掃除イベント、保育所等々住民生活に密着する課題を聞く(p.208)
広域行政の決定権は1つの広域行政体たる役所に、基礎自治行政の最終決定権はその基礎自治行政を預る役所とする必要があり、そうしなければ何も出来ないことになり、最後は現状維持になる(p.209~p.211)。要は日本のシステム、体制の問題だ。
もし、この改革が実行されなければ、20年間続く下り坂の日本は変らず、衰退あるのみ何度もいう。橋下さん、既得権者に負けないで、頑張って下さい。
マルテの手記 リルケ著 大山定一訳 新潮文庫 [読書]

静かに読む本と誰かの紹介にあったので、自分の今の雰囲気にあっているとの思いで読んでみた。アンドレ・ジイドも早くからこの本の出版されるのを待っていたらしい。貴族の生まれで、話される主題が古すぎる。しかも自分が幼い頃、豊かな暮らしをし、母親に強く愛された思い出があるらしい。
この本が小説とは、私の考える小説のイメージとは随分違う。これはリルケの小説というよりもマルテを介して著者リルケの考え方なり、思いを書いたものといえよう。翻訳は見事、日本語として十分自然に読め、文章も格調高く、最後まで読みきった。ただ、古典の知識がないせいか、この本で言われていることがさっぱり分からないし、読んでも面白くなく、退屈極まりない。読者を楽しませることを目的とする今風なベストセラーになる小説とは全く違う。自分の心の中の葛藤を赤裸々に描いた本といえる。昔はこういう自分の全存在をかけた小説というか、本が読まれたらしい。著者はこの後本が、全く書けなかったという。
死は単に人間の生物上の死であって、それ以外の何ものでもない。ただ、才能あれば人類の歴史に名を残すことも可能だ―私見。
津軽世去れ節 長部日出雄著 角川文庫 [読書]
もともと三味線の中でも、津軽の撥がテンポ早く打ち続けるのに興味があった上、音楽は全く分からないものの、小説で直木賞をもらった人がいると聞いては即注文した。勿論新刊ではなく、中古だが著者の名前も初めて聞いた人だった。
この中の津軽じょんから節と津軽世され節が昭和48年第69回直木賞受賞作だ。名人と歌われる人は、節から想像していた期待通りの破滅的な人生を送っていた。一人(茂平)は市井の中に埋もれ、もう一人(桃)は酒と女と賭博に身を持ち崩し、最後は誰一人見守る人もなく、46歳、物置小屋で孤独に死んだ。
今の世なればジャーナリズムで大騒ぎされ、「先生、先生」とちやほやされる人達だ。江戸時代、青森県が天明2年、3年、6年、7年と大凶作が続き、こんなひどい、苦しい世は早く去れ去れといい続けた、その伝統が今日の津軽世去れ節の中にあるのだ。
「津軽十三蜆唄」は平々凡々に日常をおくっていたが、ある日突然親友に誘われ一泊の旅 に出る話。
「雪のなかの声」は死に掛かっている認知症の母親が恐山に行っている、とつぶやきを言う。
「猫と泥鰌」は人間落ちぶれると、人間のみか、猫すら寄ってこないというお話。
「死者からのクイズ」を解いた学生が、美女と結婚できる
シェイム 於 シネ・リーブル梅田 [映画]
兄のブランドンはコンピュタ会社に勤め、マンハッタンの上層階に見晴らしのいい家も持っている。彼は夜毎いきづりの女をマンションに連れ込んではセックスしている。結婚する気はさらさらない(このあたりが女性客の少ない理由らしい)。しかし、シシーが来たことで彼の生活パターンが変る。そして喧嘩したことで、彼は荒れるが、結局女に狂ってしまう。マンションに帰ってみると、シシーが自殺未遂している。
セックスなんて空しいとはこの年になってなるまで知らなかった。
ポエトリー 於 テアトル梅田 [映画]
韓国映画も質が高くなった。私はこんな映画が好きだ。主人公が孫と二人で暮らしている。その孫があろうことか、同級生の女の子を仲間とともに犯し、その示談金を払わざるを得なくなる。一人500万ウォンという大金で、老女にはそれをまかなうすべが無い。自分がパートに行っている金持ちの爺さんの思いを利用し、売春まがいの金でそれを調達する。
これで解決済みだといわれるも、結局孫は警察に逮捕される。何故孫と二人暮らしなのか、孫が少女を犯した理由などは一切明らかにされない。ただ若者同士群れるいい加減な若者だという感じはする。おそらくその母親もその類だろう。
祖母は詩の講習に参加しており、詩をどうして作るかに悩んでいたが、最後に詩を残し、祖母の行方が全く分からなくなり、映画は終わる。
時間旅行者のための基礎知識 J・リチャード・ゴット著 林一訳 草思社 [読書]
全く分からなかった。これは宇宙物理学の研究者が読む本で、私達素人が読む本ではない。けじめをつけたくて、この感想文を本を読む途中で書き出した。これで買った本を最後まで読まなかった2冊目だ。まだ前のマックス・ウェーバー著「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」の方が読み易い。前の本は読まなくてもいいことが分かったが、この本はそれすら、また紹介者すら何度思い出そうとしても分からない。ただし、最後の第5章、「未来からふりかえる」は私なりに理解出来たし、完全にその通りだと思う。
要するにコペルニクス原理の確立で、人類の存続期間は95%まで正確な見通しが立つというが、その期間(20万年~21万4千年)が長すぎて、人間の考えではついていけない。ただ私達は70億人の民がいるのだから、人類で最も面白いときに生きているのかもしれない。著者はこのコペルニクスの発想をもちいて、ナチスの崩壊やベルリンの壁の崩壊を正しく予想したとする。私は人類そのものが劇的に減少する前に、いわゆる人類が一度に滅亡する大団円があると思う。
タイムトラベラーを作るには莫大な時間と研究開発、とてつもないエネルギーを要するが、人類は月にいくまでで精一杯で、それ以上、例えば火星に行くことすら諦めてしまった。宇宙なんぞは夢のまた夢、後はただ滅亡するのを待つばかりだ。
本の魔法 司修著 白水社 [読書]
私が共感を呼ぶ人が、久世光彦といい、この本の著者の司修といい現代一体何人居るだろう。終戦後このような人達が多くさんいたのだ。お金が全てにわたって一番という今の世の中では考えられない人達だろう。
この本の著者は自分が初版本を装丁した本の中で、作者と知り会った経緯を中心に、作者の人格や生活、装丁した本の中味について書いている。それは皆、昔風の言葉で言えば純文学だが、どちらかというと背徳に近い。それに死もある。この本を買って良かったと思うし、読みたい本がたくさん出てきた。
作中の人物は現代の人間と比較してどこか違うし、その本の著者自身が自分の世界に浸っている。その結果として小説が生まれてくる。だからこそ作中の人物に、その人物を作りだした著者自身に自分の人生を重ね合わせる人も出てくるのだろう。
名探偵ポアロ アガサー・クリスティー著 BSプレミアム 平成24年2月6日~9日 [ビデオ]
私は以前から名探偵ポアロが好きで、前のヘイスティングスが相棒の時代からテレビで見るのを楽しみにしていた。今回も新しい番組があるとして夜遅くの10時から11時半まで無理して起きていた。期待にたがわない面白さだ。 念のため、上映作品を書くと、
2月6日(月) 三幕の殺人 ― 2つの死
7日(火) 複数の時計 ― 数字の謎
8日(水) ハロウィーン・パーティー ― 少女殺人事件
9日(木) オリエント急行殺人事件だ。
この感想文を書く気になったのは、最後のオリエント急行殺人事件に対するポアロの姿勢だ。これはアガサー・クリスティーの中でも有名な小説で、映画にもなり、あらすじを知っている人も多いと思う。私もピーター・ユスチノフ主演の映画を見た。その時は単に犯人が12人で、5歳の少女が誘拐され、殺され、その結果若き一家が死に絶えた事件で、その復讐劇として犯人が12人の人に殺されるのは当然だと考えていた。しかし、ポアロの考えは違っていた。いかなる結果になろうともそれは許されないことだと言う。勝手に皆が正義は我にありと信じ、私的制裁を行う社会は中世の暗黒時代を彷彿とさせるというのだ。しかし、最後にポアロは苦虫を噛みつぶしたような顔で、彼等12人が描いたとおりの犯人像を警察に言う。
私は自分の浅はかな考え方を随分と反省し、ここに一文を記す。夜遅くまで起きていた甲斐があった。
今の政治状況を見るに、
〇現在の世の中は、年寄りが若者よりも優遇され過ぎており、おかしい。
〇これほど年寄りの優遇されている社会は、きっと滅ぶだろう。
〇今の政治家は一つの商売として政治を考えており、自分が当選することばかりを考え
て い る。国家の先行きなどこれぽっちも考えていない。
〇私は上記3点に心から賛同する(自分が年寄りになり、本当にそう思った)。その背景は年寄
りほど暇なものだから、選挙の投票率はおそらく90%以上だろう、これに対し若者の投票率
は20%位で、政治家は年寄りの方ばかりを見ている。この考え方をある人にのべたところ
その人は
〇年寄りは過去営々として働き、今日の繁栄を得たのだから、それは是認する。
〇しかし、貯めた金を使わなければならない。それはまわりまわっ景気を良くし、働く若者を潤
すことになる。その結果消費税もあげればいい。その意味では日本人は老後に備え
貯めすぎるという。
その意味で、私は優等生だ。貯蓄0、借金ばかりだからだ。人はいろいろな考え方をする。
歳月なんてものは 久世光彦 幻戯書房 [読書]

登場人物は皆テレビで知っているなじみの人である。ちなみに主人は昭和15年生れの、アホダラでこのblogを書いたり、いつまでたっても上達しない囲碁をするのが唯一の趣味としている。知らないのは小泉今日子、田畑智子と向田邦子である。
向田邦子はこの著者とコンビを組んで数々の名作と言えるテレビドラマを作ったらしいが、主人はほとんど見なかったといってよい。それぞれが持つ感情を隠して、お互いの人間関係を説く話が性に合わなかったと見える。だからアホダラというのだが、主人はむしろ感情を抑えきれず、爆発させる性質だ。だから今はそれを反省し、感情を抑えて、生きていけるのだろう。
その他は十分満足したが、とりわけ森繁久弥の欄は全く書かれている通りの印象で、感激したらしい。森繁久弥は本当に豊かな才能に恵まれている。山藤章二さんにしてもその著書「ブラック・アングル」は新刊で無い上に、古本は高すぎて買えないので、前に買った「似顔絵」で我慢した。後半では著者が自分のことを書く以外は、北一輝だろう。本当に国家を憂え、そんな顔が現代見られないのを嘆いている。
著者はインテリで小さい頃から本に囲まれてそれを読んで過ごしたというのが、それがもののあわれを知り、私の主人の共感する著者を作り上げたのであろう。
力士ふたたび 須藤靖貴著 ハルキ文庫 [読書]
年を老ったせいで、登場人物の名前が覚えにくく、登場するたびに赤付箋をつけまくった。犯人が大谷ではないかと思っていたが、大谷の娘が自殺し、それが主人公を巻き込んだ経緯が「お軽」の一言だったとは勿論分からなかった。
[お軽」をはじめ、多くの相撲界で使われている用語がよく分かったのはこの本を読んだ収穫だった。主人公もそれを警察に言うつもりはなさそう。ジャーナリズムに対しては、何も言わず、無言を通せばよいとは政治家のテレビ取材を見ていて教えられたことの一つだ。この主人公はなんだかんだといいながらマスコミの餌食になっている。しかし、マスコミ招待の食事を断るところなどは立派である。勿論私もそう予測したが。
ある意味でこれは勧善懲悪の本と言えなくもない。もっと優しく応対すればよい、偉そうな口をきいて威張りくさりやがってと読者が思う(主人公はそれが当然だと思っている)人間が最後には皆落ちていくか、死ぬ。その犯人も分からないのは残念だが。
ピース 樋口有介著 中公文庫 [読書]
この本を読んでいて「余計なことは考えずに、ひたすら面白いミステリー読んで、時の経つのも忘れる」が、最後はなんだか,すっきりしないのはアガサー・クリスティーの比ではないだろう。アガサーの探偵小説は何もかもはっきりし、サスペンスを読んだ醍醐味を感じる。ディック・フランシスも面白い。彼がサスペンスを書かなくなったのは未だに残念だ。
最後の坂森部長刑事の推理は事実だろうが、最初、ピアニストの清水成子が殺された犯人は梢路だと思った私の感は半ば当たっていた。本の帯封にラストのどんでん返しとはその意味で当たっていない。
マインド・コントロールというが、そんなにうまくいくものか。一般常識から考えてありえないことのように思える。特にピース、ピースと叫んでいた男が全くその反対にまわってピース、ピースと叫んでいた当時の子供達を殺すなんてどう考えても不自然だ。でもオーム教の例もある。それに私はピースの意味がなんだろうと思った。殺された肉体の一部かと思ったりした。
しかし、面白かった、特に坂森部長刑事やそれを取り巻く警察の面々は私には全くの事実に思え、テレビドラマなど比較にならない。
暴力団 溝口敦 著 新潮新書 [読書]

あれだけマスコミで叩かれながら、山口組や稲川会等人数多く、よう存在できるわと、どこかそれを利用する右翼等の誰かがあるのかと思っていた。どうも私の頭の中では右翼と暴力団が一緒になっていた。
この日本で実際に実力行使できるのは警察と暴力団だけだし、両方とも弱い者苛めをし、顔が幅を利かしている世界で、警察は暴力団を商売敵として、眼の敵にする。裁判所の判決なんて何の意味もない。訴えるのもためらうくらい法外な金をとられ、国家がお墨付きを与えるだけで、その実際の効果はないといっても言い過ぎではないだろう。
ただ暴力団が厳しい警察の締め付けもあって、だんだんシノギが難しくなり、資金面で干されつつあるのも事実で、入会、脱退、稼いだ金も自由に出来る半グレ集団の方が力を持ちつつあるらしい。暴力団のシノギには覚醒剤、恐喝、賭博、ノミ行為の4つがあり、いづれも真面目に生きている庶民には関係ない行為だ。で、相手が暴力団と分かったら逃げるに限る。もともと私は喧嘩に弱く、殴られっぱなしだから、勝つわけが無い。
私の経験で言えば、交通事故以外で、警察に助けてもらったことは一度もない、むしろ交通違反が見つかったりしたら、コン畜生と思うだけだ。
しかし、日本全体の秩序を保つためには警察は無くてはならない存在だろう、ただ結果が起きてから動き出すのが警察で、その予防には警察はぜんぜん相手にしてくれないのは残念だが。発展途上国では警察官と教師への給料未払いと彼等の堕落が国家を破綻させている。秩序回復というのが、今でも庶民(金持ちは対処の方法が幾つでもある)の大きな願いになっている。
萩を揺らす雨 吉永南央 文春文庫 [読書]
軽く読めて、面白かった。こういうサスペンスは読むのが楽しい。読書の息抜きといっていい。オール読物推理小説新人賞を受けた「紅雲町のお草」は今話題になっている子供への虐待だ。それを近所の噂話や同級生の話から察したお草が救うお話だ。
「クワバラ、クワバラ」は10万円の未収金をその背景にある事実から回収する。
「0と1の間」は草がパソコンを習っている男の友情(というか恋愛)と居場所の見つけられない老人のお話
「悪い男」は昔、一人の才能ある女の子を野球の好きな男子生徒が救う。現在、少年は少しぐれ、彼女は有名なピアニストになっている。彼女が夫と故郷で共演したCDをその生徒は受け取らず、お草さんのコレクションになり、彼女は時々それを朝、店内でながす。
「萩を揺らす雨」は草が密かに恋していた男が、実は別の女性と深い仲で、子供まで作った仲と知る。以後他の男と結婚した女性のほうからは一切連絡がないため、草は二人の間の連絡役を勤めていた。その女が死ぬ。男は二人の間に出来た子供を引き取ろうとするが、子供は嫌だという。草は男に代わって、女の葬儀に出席した後ちょっとした事件に巻き込まれるが、逆にその息子への信頼感がます。
背が高いって、いいものだ。女のほうから寄ってくる。私にはそんな経験が一切無い。自分の方から惚れたことは何度もあるが。
弱い日本の強い円 佐々木融 日経プレミアシリーズ [読書]
この本に書かれている言葉通り、為替相場が国力や経済力を反映するという私の考え方自体が明らかに間違っていた(p.19)。為替相場の方向性を決めているのは国力や人口増減などではなく、各国のインフレ率の差。つまりある一定期間(ただし15年以上の長期間)でみて、インフレ率の最も低かった国の通貨が最も強い(p.56 )。短期的には利子率の差である。そしてこの本の著者はいう、日本にとって最も重要なのは米ドルではなくて、韓国ウォンであると。
世界全体の景気が良くなれば、安い金利で今まで預けていた円を売って、新しい国に融資しようとする。それだけのリスクをおかしても良いと考える。為替のディーリング・ルームで働いている人は、大きく分けると、「セールス」と「トレーダー」になり、セールスは輸出企業等の顧客折衝にあたり、トレーダーはセールスの注文を受けてインターバンク市場のレートを見ながら即座にドルの買値や売値を示す。
為替市場は参加者が多種多様で、債券市場や株式市場などと比較してその規模が圧倒的に大きく、操作をするのが最も困難な市場であり、分析を行うのも難しい(p.71)。
経済規模1位の米国と3位の日本の通貨の交換レートである米ドル/円の交換レートは世界全体の為替相場の中で14%を占め、そのシェアは米ドル、ユーロの28%についで高い。2010年4月のフォワードや為替スワップ取引を除く1日当たりの一般的為替取引残高は約1.5兆ドル(約140兆円 1ドル93.50円で計算)になる(p.72)。スポット取引のどちらかに米ドルが含まれている取引は全体の80%にもなり、これが「基軸通貨」ということになる。
よくヘッジ・ファンドが投機的な動きで、悪者扱いされる。そのヘッジ・ファンドの担当者は様々であるが、一般論としては、「勉強熱心で、いい人」が多い(p.139)し、ヘッジ・ファンドの一つや二つで、大きな市場が、一定方向に、一定期間動くことは無い。ヘッジ・ファンドの動きの規制も同じである。マーケットに対し、中途半端な知識しかない当局者が介入したところで、その効果が無いことは過去の歴史で実証済みである。
日本とニュージーランドを比較すると、日本は資金の出し手、ニュージーランドは受けて、日本は世界第2位の経常黒字国、ニュージーランドは赤字国、日本は世界最大の債権国、ニュージーランドは債務国である。日本が458兆円の資産を海外に保有しており、経常赤字国になる道のりは非常に遠い(p.132)。日本は世界全体からみても豊かになったのである。従って日本の景気が良くなると円安になる、「日経平均株価上昇=円安」である。
日本の貿易収支が黒字であるため、円安の方が日本にとってメリットがあるのは事実であり、その意味で真の競争相手は韓国企業である。しかし、原料を仕入れて加工して売る企業にとって円高はむしろ企業収益にとって良い方向にはたらくのではないか。むしろそのような体質の企業こそ育てるべき。
この本を読んでいて感じたことはいかに民間が苦労し、世界全体の中で核たる地位を占めているのに対し、政府を初めとする公共部門のだらしなさだ。民間の上前をはねるだけだ。民間を助けるためということで、国を利用するだけ利用し、国家としての自覚も何も無い。要するに自分達が選挙で選ばれるためにはばら撒きであろうと、将来に大きな負坦を残そうと知ったことじゃあない。将来に夢を残すことなど頭からない。政府の赤字は国債だけだと思っていたら、外為収支で、クーポンレートを毎年の財源に繰り入れ使ってしまい、外貨を買ったことによる大きな負債があることなど全く知らなかった。25年間臨時増税する復興財源などお笑い種だ。25年後それすら臨時増税と言うことも忘れ、それを一般財源に繰り入れることなど火を見るより明らかだ。
どれもこれも老い先短い老人が国を支配する典型だ。いつまで権力の座にしがみつく気か。第二次大戦後の日本のように早く若い人々に権力を渡すべきではないか。年よりは引退あるのみ。若い人から相談を受けたときにのみ自分の意見を言えばよい。















